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工房を訪れたある青年。

今日工房を30代前半のある青年が訪れました。

この青年、来月から私が親方と慕う清水棟梁が主宰する〝どっぽ村http://doppo.jpn.org/にどっぽ生として研修に参加する方です。

どっぽ村での生活の準備のため滋賀県を訪れ、東京の実家に帰る途中、垂井の工房を訪れました。

この青年は4年程前まで、アメリカの大手信託銀行に席をおき、トレーダーとして活躍し年収約8000万円を稼いでいたという経歴があります。

その青年が何を思ったか、その職を捨て、世界を放浪し、国内を転々として地に足のついた生活を求め、どっぽ村にたどりついたということだそうです。

一見、普通の青年ですが、話をすると何か違います。一言では説明できませんが、いろいろな切り口でものを見て判断でき、言葉一つ一つに何か説得力があります。

その言葉のひとつ、

「日本人は、財産をお金、または不動産などのいずれはお金に換えることのできるものだと思っている。でも、今やグローバル化した金融市場では当然個人で日本円の価値はコントロールできるわけがないし、日本国であってもコントロールは不可能。いつ日本円の価値がなくなるかわからない。

本当の財産は、これまでに身につけた知恵(知識ではなくて)や技術、健康そして人脈じゃないですか。いまは、お金で他人の知恵や技術しいては人脈までも搾取していて、あたかも自分のものになったかのような錯覚に陥っている。ある程度金融を支配できる大金持ちはいつまでもそれが可能だと思うが、中途半端な金持ちではお金の価値が低下したときには何もできなくなる。

僕は銀行勤務時代の貯蓄があるけど、その貯蓄も将来どうなるかわからない。その価値がある間に、いかにお金を使わず、自力で生きていく能力を身につけていくことが僕がどっぽ村に来た目的のひとつです。」

いやに説得力がありました。

金融の第一線に身を置き、良いところ悪いところを身をもって経験したからこそ語ることのできる内容です。

以前、人生経験の豊富なある人から次のような言葉を聞いたことがある。

「お金で手に入れたものはいつかは必ず失う。自分で手に入れたものは、形を変えることがあってもいつまでも失うことはない。」

この歳で、もうそれを悟ったのだろうか。

いずれにせよ、これからの自分の人生を考える参考になりました。

4月になってから、もっと突っ込んだ話をしたいと思います。

この4月から、どっぽ村には、早稲田大学法学部を卒業したもう一人の新どっぽ生も来ます。

カフェが完成しましたら、そんな方たちを囲んで気楽な座談会を開催したいとも考えています。

また、ご案内しますので、興味のある方は是非ご参加ください。

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